森村泰昌

「なる」作家

森村泰昌は、だれか(あるいはなにか)に「なる」作家である。ゴッホ、マネ、セザンヌ、クラナハ、ゴヤ、ダ・ビンチ、レンブラント、フリーダ・カーロ、フェルメール等美術史上巨匠の有名絵画のなかに自由自在に入り込み描かれた人物やものに変身したり、マリリン・モンローやヘップバーンなどのハリウッドの女優になりきり映画の一シーンを演出する。自身の身体が泰西名画や銀幕の一シーンに入り込むと同時に、元のイメージに、西洋と東洋、女性と男性、現代性と古典などの二項対立の図式を混乱させるような仕掛け—クラナッハの有名なユディトの絵に江戸時代の丁髷と日本髪の男女が登場したり、ブリジット・バルドーが通天閣の前でハーレーダビッドソンにまたがっていたり—を施すことで知られている。

森村は、京都市立芸術大学在学中、かつて『ライフ』誌等でフォトジャーナリストとして活躍した写真家アーネスト・サトウが教鞭を執る映像教室で学び、大きな影響を受ける。サトウは写真だけでなく、西洋のモダニズムの美学をアンリ・カルティエ・ブレッソン等の写真作品を通して生徒に教えたという[1]。卒業後、佐藤の助手を長く務める。そして、1984年に「卓上のバルコネグロ」という、すべて室内で撮影した静物写真のシリーズを制作した。それは、手作りの小道具と、身の回りの家具、食器などを用い、テーブルの上や部屋で撮影されたものばかりであるが、映像教室で学んだ近代の写真や絵画に見られる安定した画面構成と配置の構図をそこには見ることができる。また、このシリーズには初めてのセルフポートレイトが数点含まれている。

1985年、京都のギャラリー16で石原友明、木村浩と開催した三人展「ラデカルな意志のスマイル」で、突然耳を切ったゴッホの有名な自画像に扮した自分自身の自画像を発表する。当時、コンセプチュアルで抽象的な作品が大勢を占めるなかで、この作品の特異さは目を引いた。森村は、当時京都市芸の仲間といくつかの展覧会を企画しながら、80年代のポジティブで明るいファッションやアートについていこうと「自分の髪型や服装や美的感受性を80年代風に変え、そのかいあってそれなりに時代にも慣れてはきたけれど、しょせんは居候にすぎなかったのではないか。これまでの努力は徒労で、私は80年代の波にもまれる人間にはなれても、波自体を作り出す人間にはなれそうにない。そう思うと、だんだん息切れがして前に進めなくなってきたのだった。[2]」という。そこで、時代に乗り切れない「ネガ」な部分を直視し、自分にとって「ネガ」の典型であった「ゴッホ」をモチーフにした作品を発表した。すると、逆に時代が森村に大いなる興味を示すことになる。

ゴッホの自画像は、泰西名画を題材にした「美術史の娘」シリーズの始まりであった。

1998年、ヴェネチアビエンナーレ、アペルトに招待された。それにより国際的に注目され、海外の展覧会に次々に招待されるようになる。当時「アンタイトルド・フィルムスティル」という有名な写真シリーズでB級映画等に描かれる女性像の類型を自身が演じたシンディー・シャーマンと良く比較された。しかし、同じ「なる」作家でも、森村の場合は有名西洋絵画を舞台装置に、日本人の肉体をもってそこに侵入する。ユーモラスな身振りの下に、東洋と西洋の美術史のはざまで揺れるひとりの美術家の告白が刻まれている。森村は、大学で教えられたのはほとんど西洋美術であって、知識も技術も学んだのは西洋の伝統であったと回顧している。子供の時から有名な画家はゴッホでありピカソであった。故に西洋史を作品の題材にするのは当然のことであったという。しかしながら、そのような環境で作られた感受性は健康でも均衡がとれているとも思っていなかっという[3]。

2016年に開催した国立国際美術館での「自画像の美術史—『私』と『わたし』が出会うとき」では、旧作新作も含め、西洋と日本の美術史のシリーズの集大成を見せるとともに、美術史を通じてオマージュが捧げられたルネッサンスから現代までの作家たちをめぐる長編映画を上映した。このとき、改めて日本の近代の洋画家、青木繁、萬鉄五郎、松本竣介等の作品を取り上げている。森村同様、西洋美術と対峙しながら独自の表現を生涯かけて追求した先達の画家達である。

森村はパフォーマンスや舞台の活動、それに関連する映像作品の制作も当初から並行して行っている。最初のビデオ作品《星男》(1990年)では、マン・レイが撮影したマルセル・デュシャンの星形に剃髪した有名なポートレイトを元に自身も同様に剃髪しながら京都の町を歩くパフォーマンスが収録されている。他に、パフォーマンスを収録したビデオ作品として、《「大野一雄/ラ・アルヘンチーナ頌」のための三つの映像》、《高く、赤い、中心の、行為》等がある。

公開のパフォーマンスや舞台、映画出演としては、舞踏集団大駱駝館との共演(1994、1995年)、ディレクターを務めた総合美術イベント「テクノテラピー」(大阪市中央公会堂)での多田正美とのパフォーマンス「テクノテラピー/スペシャルナイト」(1998年)、蜷川幸雄演出の舞台「パンドラの鐘」のピンカートン夫人役(1999年)、辻仁成監督の「フィラメント」(2002年)での女装癖がある写真館の主人役等がある。最近では、森村家の歴史と日本の戦後史、そして美術史を関連付けながら、自身の作品を通して見えてくる「日本文化の特殊な事情について話す」パフォーマンス「にっぽん、チャチャチャ![4]」が、2018年フランスのポンピドゥ・センター・メス、横浜のシアターコモンズ、そしてニューヨークのジャパンソサエティで上演された。

MEMでは、「卓上のバルコネグロ」展(2003年)で、森村のゴッホの肖像を発表する以前の仕事の集大成である静物写真のシリーズを紹介した。その2年後に、ヨハネス・フェルメールの「絵画芸術」に描かれている室内を画廊空間で再現した、「フェルメールの部屋」(2005年)を開催。東京移転後、デュシャンのポートレイトを主題にした《星男」を含め、改めて初期の作品に焦点を当てた「『私』の創世記」(2016年)、そして、戦後日本の代表的な前衛美術集団ハイレッドセンターを主題にした「高く、赤い、中心の、行為」(2018年)を開催した。美術史のシリーズも含め初期から現在まで自身の身体を思考の中心に据え、写真作品をはじめ、パフォーマンス、ビデオなど様々なかたちで展開してきた森村の活動を紹介している。

(K.I.)

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[1] 森村泰昌『美術の解剖学講義』平凡社、1996年、50頁
[2] 森村泰昌『芸術家Mのできるまで』筑摩書房、1998年、45頁
[3] Yasumasa Morimura, “About my work”, Daughter of Art History. Photographs by Yasumasa Morimura, Aperture, 2005
[4] https://vimeo.com/256025384

 


Exhibitions
卓上のバルコネグロ

「卓上のバルコネグロ」
2003年3月28日-4月30日

「『これはデュシャンではない』、ですか。
藤本由紀夫、森村泰昌 二人展」
2004年11月1日-12月18日

「『フェルメールの部屋』
〜大きな物語は、小さな部屋の片隅に現れる〜」
2005年7月2日-7月30日

tabletopcity

「『私』の創世記」
2016年9月2日-10月10日

「高く、赤い、中心の、行為」
2018年6月9日-7月8日


Works

Writings
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