Anima / Animus

アニマとはラテン語で「魂」を意味します。

後に心理学者のユングが、「Anima (アニマ) 男性の無意識内にある女性的な側面。Animus (アニムス) 女性の無意識内にある男性的な側面。」という概念として、その言葉を用いるようになりました。

いずれも、人間が社会生活の中で無意識の中に押し込めた内なる部分ーーー男らしさ/女らしさという一般的であり表層的なイメージの裏側ともいえます。恋愛対象や、芸術においてもそのアニマ/アニムスが影響されているといわれています。

本作は画家・金子國義氏の自宅敷地内で主に撮影されました。

金子氏の描く人物には、彼の無意識の中にもつ、内なるキャラクターの投影であると作家は感じました。時に小悪魔的な少女であったり、時に凛々しい男性像が作品の中で金子氏の分身として現れる・・・そのアニマ/アニムスの鱗片に金子氏の作品を愛する人々の魂も呼応し、「秘密にしておきたい大切なもの」のような感覚を覚えるのではないかと作家は考えました。主を失った金子國義の部屋に足を踏み入れると、宝石箱のようにきらきらとしたオブジェクトに埋め尽くされています。ヴィンテージのモード誌、シュタイフのぬいぐるみ、アンティークのランプーーー数え切れないオブジェクトの一つ一つに金子氏の愛と魂の吐息がかけられて、美しい亡霊か妖精のように訪れる人々を包み込みます。作家はその見えない魂のようなものを擬人化し、滅びゆく美しい部屋を写真におさめました。

そして同時に、これらの写真には被写体となった人々の内なるものも現れているでしょう。もしくは、それはあくまで作家自身のアニマ/アニムスの投影に過ぎないかもしれません。

須藤絢乃
2018 年「須藤絢乃写真展 Anima/Animus -金子國義の部屋-」銀座三越での個展に寄せて


「金子國義氏との思い出」と書けるものが私には何一つない。私は生前の金子氏とお会いする機会に恵まれなかった。不思議なことに、私の半生の中、初めて会う人が、開口一番「金子國義」という名前を話題に出す事が多々あった事だけがずっと気になっていた。
金子氏の訃報が流れる1週間前もそうだった。私は当時関西に住んでいて、その日は京都に来られていた氏と交友のあった写真家の方が、「今度あなたが東京に来たら金子先生に会いに行こうね」とタクシーの中で私に話していてくれた。出会った方々が口々に言った「その人」と遠くない将来にお会いできるのかと、ぼんやりといつか来るその日の事を想像していた。
そして2015年3月17日、SNSで金子氏の訃報を知る。「間に合わなかった!」いまでもとっさに心に浮かんだこの言葉を覚えている。奇しくも、金子氏のお通夜となった日に、私には以前より東京出張の予定が入っていた。漸くお会いできたのは棺の中の金子氏だった。

数ヶ月後、また不思議なご縁があり金子邸に伺う機会をいただいた。その時の印象は、今回発表する写真集「Anima/Animus」の中で書いたので、ぜひ読んでいただきたい。初めて私が訪れたその時からすでに家が老朽化し、この状態をずっと保つことは難しいという話を遺族の方から聞いた。この場所がいつか消えて無くなってしまうのは、ただただ寂しい。けれども、私が何を想おうともこの家は朽ちてゆく、時の流れはそういうものであると、どこか違う世界で起こっている話を聞いているような気持ちでいた。
しかし、それから日が経つたびに、金子邸での印象がどんどん膨らみ、目を瞑っても浮かんできた。次第に何かしらの形であの家の空気を遺すことはできないかと考え始め、それから、何が何でも、写真を撮らせてもらいたいという気持ちにまで変化し、最終的には「あの空気が無くなって仕舞う!」という焦燥感と共に硬い決断となっていた。今思い起こすと自分では考えられないほどの厚顔無恥な行動だった。当時の自分を省みると、目眩がするくらいに。
この世を去った方と関わることは、簡単なことではない。それから金子邸の撮影に漕ぎ着けるまで、心が千々乱れるほど緊張感のある日々であった。金子邸取り壊しまでの4年間の撮影経緯と思い出を書くならば、作品に寄せる文章の範囲には収まらないほどの、沢山のご縁と秘密がある。なんでも詳しく話しすぎるのは「野暮ね」という言葉がどこかから聞こえて来そうなので、作品の核となる部分だけにとどめておこうと思う。

この写真たちは2015年から、金子邸が取り壊される2019年まで断片的に撮影している。記録写真に留まらず、時には金子邸から離れ、金子氏の世界観を考察しながらこの写真たちを作品たらしめる実験的な撮影も行った。
制作中は金子氏の遺品に囲まれながら氏自身の人物像やこれまで作品として表現されてきたものに想いを馳せた。⾦⼦⽒の描く⼈物には、⼩悪魔的な少⼥や、凛々しい男性像が登場する。彼らは氏の無意識の中に持つ、内なるキャラクターの如く⾦⼦⽒の分⾝として作品の中に現れるのではないかと私は考えた。

私が制作した今回の作品群にふさわしいタイトルを構想している時に、⼼理学者のユングが用いた、Anima/Animusという言葉に辿り着いた。Anima (アニマ) とは男性の無意識内にある⼥性的な側⾯。Animus (アニムス) とは⼥性の無意識内にある男性的な側⾯。日本語では、「魂」という言葉があてられる。

いずれも、⼈間が社会⽣活の中で無意識の中に押し込めた内なる部分ー男らしさ/⼥らしさという⼀般的であり表層的なイメージの裏側とも言えるし、恋愛対象や、芸術においてもその「魂」が影響されていると考えられている。

魂の鱗片がきらきらと散りばめられた金子氏の家を取り巻く空気に、いつまでも触れていたい、遺したい、という気持ちにさせられるのは、氏にまつわる全ての物質に対して、それらを愛した人々が自らの魂を投影するが故の衝動でもあるのだろう。
半世紀以上の月日をかけて地層のように重なった数え切れないオブジェクトの⼀つ⼀つに⾦⼦⽒の愛と魂の吐息がかけられて、美しい亡霊のように訪れる私たちの魂を誘う。私はその目に⾒えない「Anima/Animus」を擬⼈化し、ポートレートという手法を用いて、滅びゆく美しい部屋を写真におさめようとした。言うなれば、魂が目に見える形となった「お化け」の写真ともいえるだろう。

 

須藤絢乃
2022年「Anima / Animus」NADiff Galleryでの個展に寄せて

[作品サイズ]
Sサイズ
エディション 12
イメージサイズ 305×381mm
額サイズ 420×520mm

Lサイズ
エディション 7
イメージサイズ 577×721mm
額サイズ 908×1130mm

本ページに掲載作品全て、上記2サイズからお選びいただけます。
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Installation view

2018      「須藤絢乃写真展 Anima/Animus -金子國義の部屋-」銀座三越7階ギャラリー、東京

 

2022      個展「Anima / Animus」NADiff Gallery、東京


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