松井智恵

寓意の入れ物

私は、「風景」と「光景」の間にたたずむ状態を、寓意の入れ物として「インスタレーション」と位置づけ、それを表現とテーマを干渉させる為の構造体として、何年か制作してきた。
(松井智惠『一度もデートをしなかった』ロバフィルム舎、2005年、15頁)

80年代よりインスタレーション、映像、絵画と、いくつかの形式を通してつくられてきた自身の仕事を、「物語が発生する装置であり、身体性を伴う空間を作ること」と松井は定義している。
松井は、京都市立芸術大学工芸科で染織を専攻していた頃から、木材、石膏、布等様々な触感や質感を持つ素材を使い、彫刻やオブジェ、素描や写真などを展示空間に自在に構成する作品を発表し、インスタレーションを専門にする作家として評価される。ニューヨーク近代美術館の「Project 57」展に松井を招待した当時のキュレーター、バーバラ・ロンドンは、インスタレーションが日本と韓国で、前衛美術の主要な表現手段として発展してきた現象について以下のように述べている。

「特に女性の作家にとってインスタレーションは魅力的なものである。その同時代性は、化石化した伝統によって定義づけされることがない。性別による差別も含めて、インスタレーションにいかなるヒエラルキーはない。女性が生活する場にある材料も含めて、自分が望むどのような素材でも自由に使うことができる。・・・(松井は大学で)テキスタイルデザインを専攻した。内容よりも構造に重きを置く訓練が、彼女の初期作品のスタイルを決定した。」
(バーバラ・ロンドン「Chie Matsui」『Project 57』 MoMA、1997年)

当初インスタレーションを構成する多種な要素は物語性を感じさせるものであったが、80年代末より、ガラス、鉛、石膏、青く染めた糸など限定されたパーツを用いた抽象的な空間構造に変化していく。この時期、ヴェネツィア・ビエンナーレ(第44回、1990年)のアペルト部門に招待され、《その水は元の位置に戻る》と題されたインスタレーションを発表した。これは、1988年に信濃橋画廊(大阪)で発表された同名の作品のバリエーションである。床と壁に鉛が敷き詰められた空間の真ん中に、六角形の万華鏡風の覗き窓がある白い立方体が立てられている。床には壁に沿ってガラスの破片がはいっている石膏の細長い側溝のような容れ物が置かれて、白い立方体の前には、六角形に切ったガラス板を貼り合わせた六角柱が積み重ねられ、その断面を見せている。天井の鉄製の装置からは、青い糸が落とされ床に溜まっている。
インスタレーションのミニマル化はさらに進む。1993年、バンクーバーアートギャラリーの「Out of Place」展では、白い壁に囲まれた十字に交わる通路だけのインスタレーションが展示された。この通路は進むにつれ幅を狭くしてあり、あらかじめ人工的なパースペクティブがつけられている。足下には石灰を塗った煉瓦が敷かれ、奥は階段になっている。奥に行くにつれ天井高も低くなり、十字路の片側の壁面には小さな丸い鏡がたくさん貼られ、その奥から強い光が放たれている。また、反対側の突き当たりの壁には、小さな一枚の鏡が埋められ、その足下には、水の入った溝が設えてある。
作品を見ること以上に、白と鉛色を中心に極めて純化された空間内で移動することが展覧会の体験である。そのとき、観覧者の身体がその作品を完成させる最後のパーツになる。我々は、動く身体と壁や床、階段など空間の構造との関係を意識させられる。
作品がミニマルな白い通路に限りなく近づいた後、一転して、有名な寓話を引用する強い配色とオブジェを伴ったインスタレーションに移行する。1993年Gallery KURANUKIでの個展「Labour」以降、赤や灰色の壁に囲まれた空間に、「三匹の子豚」「赤ずきん」「雪の女王」などの童話のモチーフが、オブジェやドローイング、文字等に引用される物語性に富んだインスタレーションが展開された。使われる素材も、引用される寓話に呼応して、煉瓦、丸鋸、フェイクファー、三面鏡などが用いられている。それらは、寓話の世界が持つ残酷性や、人間の潜在意識に働きかける倫理性に関連しているように見える。このシリーズは、東京都現代美術館開館時の展覧会「日本の現代美術 1985–1995」(1995年)、同年のサイト・サンタフェ、ニューヨーク近代美術館の「Project 57」等の会場で次々と発表され変奏を重ねていく。

 

映像インスタレーションへの展開

このような空間との共同作業は、2000年から映像作品の制作を始めてから新しい局面を迎える。神戸アートビレッジセンターの個展「彼女はうそをつく」で、初めてのビデオインスタレーションが発表された。ビデオ作品は同年先に開催された信濃橋画廊の個展「彼女は溶ける」で展示したインスタレーションを舞台に撮影されている。部屋の床にあけられた穴から水着姿の松井が出てきて、はす向かいに開けられた別な穴にまたはいっていく。地下にある画廊の展示会場の、水が貯まっている床下をくぐり抜け、穴から顔を出しては部屋を横切り、また潜るという行為を延々と見せるものである。
2003年にMEMで発表された《ヒマラヤ》は、当時画廊があった大阪、北浜の、大正期建造の新井ビルの螺旋階段を、四階まで這って上り、まさにその作品が上映されている展示空間にはいっていき、またUターンして階下へ這って降りるという行為を淡々と見せる36分ほどの作品である。カメラは吹き抜けのらせん階段の一番上の箇所にアングルで固定されている。この映像は、当ビルの物置に外されて保管されていた昔のドアの上に上映された。
これらの作品は、撮影されたまさにその現場で展示される。それにより、観覧者は、見ている映像内の出来事が起こったまさにその現場で、作家の身体の残滓と痕跡を肌で感じながら作品を鑑賞する。いずれも、特定の空間内で行われる単純な動作を見せるので、一見パフォーマンスの記録のようにも解釈できる。しかし、長時間動きだけを撮影しているように見える映像は音響と共に編集され、それが上映される空間も作り込んでいるという意味では、パフォーマンスと映像、インスタレーションが複合的に共振している作品である。

 

HEIDI

映像作品は、その後《HEIDI》というシリーズに移行する。

『ハイジ』(ヨハンナ・シュピリ著)から、私が勝手に読み取った、44才のハイジとその物語の風景を、この「インスタレーション」という寓意の入れ物に放り込み、映像化するよう試みた。
(松井智惠『一度もデートをしなかった』ロバフィルム舎、2005年、15–16頁)

孤児になり叔母に連れられて偏屈な祖父が住むアルプスに連れてこられたハイジの物語は、日本では1920年代に翻訳されてから広く知られアニメーションにもなっている。
2004年に発表されたシリーズ最初の《HEIDI 44》は、大正12年に大阪港に建設された築港赤レンガ倉庫で撮影された。冒頭、老婆と少女の対話が聞こえてくる。話されているのは、架空の言語で、字幕が内容を伝える。少女は「捨てられなかったものとあげたかったもの」をもって、山へ行く。死に場所をさがしにいくが、それは生きる場所を探しにいくのと同じことだという。季節外れの厚着をし、大きい荷物を抱えた松井が駅の改札から出てくる。レンガ倉庫にたどり着く途上で荷物を捨て、服を次々脱いで白いスリップ一枚になった松井は、塀を軽々と乗り越え赤レンガ倉庫にはいる。その後カメラは倉庫の天井に渡されている鉄骨の梁の高さに固定され、その鉄骨の上を歩き回る松井を長回しで捉える。
松井によると、倉庫の床から6m程の高所に張り巡らされている梁をアルプスの山に見立てているという。また、ハイジが孤児になったのは、大工の父が作業中に梁から落下して命を落とし、母が嘆きのあまり父の後を追うように衰弱死したためだが、梁の上を危なげに歩く松井のシーンは、そのエピソードにつながっている。画面外から時折聞こえてくる老婆と少女の会話や、必要以上に着ぶくれした衣類と持ち物を次々と道ばたに捨て、みるみる身軽になっていくシーンなどにもハイジの物語は抽象化され作品空間に漂っているようにも感じる。
2004年の《HEIDI 44》(タイトルの次の数字は当時の松井の年齢でもある)から2014年の《HEIDI 54》まで毎年ハイジシリーズが制作された。いずれも松井が映像の中に登場し、多くは展示空間をあらかじめ念頭に置いて撮影し、挿入する音も制作した上でビデオインスタレーションとして発表している。展覧会会場あるいはその付近で、撮影するケースも多い。毎回会場の空間に応じて音響設計を考え、投影する映像同様、空間内の音響効果にも細心の注意を払っている。

 

絵の仲間

松井は当初から、インスタレーション作品と平行して、ドローイングを描いてきた。絵は松井の重要な表現手段のひとつである。2007年、初めて油彩と水彩、素描を中心にした「Allegorical Vessel – HEIDI 47 / Pictures」展を開催する(MEM)。2014年の横浜トリエンナーレでは、油彩とドローイング、また《一枚さん》と名付けられたシリーズを展示した。《一枚さん》とは、2012年頃より、facebookに毎日一枚描いて公開していったドローイングのシリーズである。「下書きや、完成図もなく、そのつど、画材と、紙と一緒に話しているように描いて」いるというもので、「作品」としてつくったものではないという。日々生きていることを淡々と跡づけているような、身近にある画材でスケッチブックに描きはじめた毎日の絵は、はじめて何年も経ち、松井にとって重要な存在になっていった。
近年の発表も絵画を中心にした展示になっていく。2017年に開催された展覧会は、「Picture-絵の仲間」と題されている。松井はインスタレーションを始めた当初から、常にドローイングを描いていた。油彩、水彩はもとより手元にあるメイキャップ道具、マニキュアやカーボン紙など、インスタレーションを作るときと同様、いろいろな素材と交流しながら手を動かし絵を描くことを大切にしている。それは松井にとって「絵の仲間」であり、「寓意=物語」の器としての絵、そこで物語が発生する間際の感覚を探っているという。

インスタレーションやビデオ作品、絵画等どのような技法であれ、松井がさまざまな素材を手に取り組み合わせ、やがてひとつの作品をつくりあげるなかで、身体とそれを取り囲む空間や外の世界をつなぎ、双方を往復しながら紡がれていく物語の破片が、寓意の入れ物のなかにおさめられ、ひっそりと息づいている。

「耳をすませば、観者自身の物語が聞こえてくるはず」と松井は言う。

(K.I.)


Exhibitions
HIMALAYA

第一部「ヒマラヤ/カイダン」
2003年10月10日-10月30日

HIMALAYA

第二部「ヒマラヤ/レインボウ」
2003年11月4日-11月22日

reminiscence

「reminiscence」
2006年5月12日-5月27日

reminiscence

「An Allegorical Vessels – HEIDI 47」
2007年5月17日-14日

HEIDI 49, vision-mist, An Allegorical Vessel

「HEIDI 49, vision–mist, An Allegorical Vessel」
2009年10月17日-11月14日

matsui_heidi50

「HEIDI 50 – on the day」
2011年2月5日-3月6日

28112013_ss

「一枚さん」
2014年9月12日-10月13日

Picture2017-6s

「Picture -絵の仲間-」
2017年5月13日-6月11日

「青蓮丸、西へ」
2019年4月13日-28日


Works

Further readings

松井智恵「森・根・支持」『美術雑論』第3号、1987年

青山勝「松井智恵の映像作品について-夢と覚醒と-」2014年

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