one day

  ランドスケープシリーズの「one day」はタイトルの通り、ある場所のある“一日”を一枚のフィルムに焼き付けている。様々な場所の、できれば24時間あるいは日の出から日没までを、物理的に難しい場合(多くの場合はそうなのだが)はできる限り日中の長い時間を、いずれにしてもかなりの長時間露光で銀塩フィルムに撮影している。(*1)

  グローバル化は世界の垣根を崩して容易に人や情報、商品の行き来を可能にした。しかし他者の存在や見知らぬ場所に「いま時間が流れていること」をイメージすることを妨げる。各地のさまざまな「場所と時間」をイメージ化して連ねることは、そのことへのささやかな抵抗である。もっと言うとグローバル化が引き起こす非対称な情報格差は、ともすると実際にあるはずの人の存在や時間を「なかったこと」のようにしてしまう。しかし

「時間と光」のメディアである写真を用いることで、世界を「なかったこと」にするのではなく「既にあること」としてとらえ直したいと私は考える。

  かつてモネはルーアンの大聖堂前で身悶えするような思いで連続する時間と格闘した。私もそんな勝ち目の無い負け戦を各地で続けている。様々な場所の“一日”である。

  いま、こうしている瞬間にも世界のあらゆる場所で現実が進行している。あたりまえだが、私にはそれをリアルに想像できない。そしてそのことにどうしようもない苛立ちを覚える。あらゆる場所に流れているはずの時間を、目の前のこの現実と地続きにイメージしたい。そうした私自身の苛立ちをこの作品を作る中でみつめたいと思っている。そしてできるならばもう一方の仕事である「our face」シリーズ同様に対称性を伴って世界をイメージする手がかりにしたいと思っている。

2010年 北野 謙

*1 

4×5のカラーネガフィルムを使用。写真は現象を瞬間で微分する、と言われるが、これは集積化したいわば積分。 

日の光の総和量は天気の変化に頼るため、光線状態を予測できないので、露出は直感で設定。アンダーになることもオーバーになることもある。超長時間露光のため、建物の振動や交通も三脚を据えるのに考える。 

時間を介して風景を見つめると、すべての場所が死(過去)の集積物だと実感する。


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