音納捨三、河野徹、椎原治 — 丹平写真倶楽部の三人

戦前、関西の主なアマチュア写真クラブとしては大阪を拠点とする「丹平写真倶楽部」「浪華写真倶楽部」そして芦屋を拠点とする「芦屋カメラクラブ」があり、多くの会員を有していました。
当時関西の写真クラブは多くの前衛写真家を輩出し、前衛写真運動の拠点になっていました。1930年代はヨーロッパのシュールレアリズムやドイツの新興写真の重要な展覧会が日本で開催され多くの芸術家に影響を与えたと言われています。同時に日本の写真家は独自の表現を追求し、戦前から戦後に渡って日本独自の新興写真運動の流れができました。

音納捨三(大阪生,1905-1988)は、フォトグラムの手法を独自に研究、戦前の写真雑誌にもフォトグラムについての記事を執筆していました。様々な身の回りのオブジェを印画紙の上に注意深く配置して感光させるのが特徴です。瑛九とともに、当時フォトグラムの手法を日本で追求した重要な作家のひとりです。
河野徹(大阪生, 1907-1984)は、二十歳頃より写真を始め、丹平写真倶楽部に31年に入会。風景や物をストレートに捉えながら、シュールレアリスムを思わせる画面構成が特徴で、風景や自然の事物に対して鋭く切り込む視線は戦前から戦後まで一貫しています。河野は戦後には瑛九が主宰する前衛美術運動である「デモクラート」に参加し、さらに芸術写真の可能性を追求しました。
椎原治(大阪生, 1905-1974)は、東京美術学校の西洋画科に入学し当初画家を目指しましたが、大阪に戻ってから「丹平写真倶楽部」に入会し多数の実験写真を制作しました。とくに30年代後半に、フォトグラムやフォトモンタージュ、多重露光、ソラリゼーションなどあらゆる手法を用い、主にオブジェと女性のヌードをモチーフにした多くの実験写真を制作しました。また、ガラス乾板に直接絵を描きプリントする手法を「フォトパンチュール」と名付けました。

丹平写真倶楽部

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