河野 徹(1907–1984)

大阪市天王寺区伶人町生まれ。1927年八尾中学校を卒業した頃から写真をはじめる。1931年、丹平写真倶楽部に入会。

河野は、通常の風景の中に潜在する異質な光景を見抜く独自の感性を持っていた。岩宮武二は、倶楽部の屋外撮影会に同行したとき、ただの枯れ草を無造作に数枚撮影しただけで帰っていった河野のことを回想録に書いている。どうしても特別な枯れ草に見えなかったものが、後日例会で発表された写真を見ると「枯叢のいのち」が写っていて衝撃をうけたという。

1951年、河野は、瑛九の呼びかけで結成された「デモクラート美術家協会」に、大阪の森啓、泉茂、早川良雄、棚橋紫水、吉田利次、宮崎の郡司盛男、内田耕平、外山弥とともに参加する。この創設メンバーのなかで写真家は棚橋と河野だけであった。河野は棚橋とともに、「大阪第1回デモクラート美術展」(1951年6月)、「大阪第2回デモクラート美術展」(1951年8月)、「東京第1回デモクラート美術展」(1952年3月)で作品を発表する。

1952年、銀座松島メガネ店2階の松島ギャラリーで「丹平8人展」が開催され、棚橋紫水、岩宮武二、木村勝正、佐保山堯海、堀内初太郎、和田生光、玉井瑞夫とともに参加する。同年丹平写真倶楽部を退会、翌年にデモクラート美術家協会を退会し、「丹平8名展」のメンバーとともに、1953年にシュピーゲル写真家協会を創立、戦後の新しい写真表現を模索することになる。同じ年、大阪市北区に河野スタジオを開設、1959年にK-O-Cフォトスタジオを甥の大儀博美と共に開設する。

参考文献:

岩宮武二「枯草」『河野徹写真集 轍』自主出版、1977年

岡塚章子「瑛九と写真」『—開放された戦後美術—デモクラート 1951–1957』展覧会カタログ、宮崎県立美術館、和歌山県立近代美術館、埼玉県立近代美術館、1999年

『日本写真家辞典』淡交社、2000年

『日本の写真家』日外アソシエーツ、2005年

『日本近代写真の成立と展開』展覧会カタログ、東京都写真美術館、1995年


Exhibitions

「丹平写真倶楽部の三人展: 音納捨三、河野徹、椎原治」
2018年1月6日-28日


Works

Further readings
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