浪華写真倶楽部は、1904年、写真材料商の桑田商会の桑田正三郎と、石井吉之助によって大阪で創設された。翌年より倶楽部主催の展覧会「浪展」を定期開催し始める。初期の部員である米谷紅浪、福森白陽、梅阪鶯里等の活躍により、関西の芸術写真運動の中心的存在になる。大正15年(1926年)には、浪展の第一回東京展を、東京の銀座資生堂で開催した。

大正時代に、安井仲治、上田備山等が入会、昭和初期に小石清、花和銀吾等がはいることで、芸術写真から新興写真に倶楽部の姿勢が変化する。戦後会員になった津田洋甫氏によると、ピグメント印画法が主流であった浪華の作風が転換したのは、昭和4年(1929年)からであるという。小石清、花和銀吾、福森白洋氏が例会にフォトグラムを持ってくるようになり、それに反発する、元老の倶楽部員たちが退会して行った。新しい世代の倶楽部員はフォトグラム、フォトモンタージュなど新興写真の流れに応じた様々なテクニックを用いた。昭和7年(1932年)に小石清の『初夏神経』が発行され、アルミでできた表紙と共に、最先端の写真集として受け止められる。

昭和8年(1933年)、創立30周年を祝うころには、会 員に本庄光郎、平井輝七、中藤敦、中森三彌、木村勝正、樽井芳雄等、また地方会員として後にナゴヤ・フォトアバンガルドの運動に関わる坂田稔等も活躍し、浪華の作風も新興写真から前衛写真といわれるシュルレアリスムや抽象を中心にしたスタイルにシフトしていく。

太平洋戦争が始まった翌年、重要な指導者であった安井仲治が逝去。戦時中は休会をよぎなくされる。戦後は、大阪新聞に広告を出したりして旧会員に呼びかけ、焼土と化した大阪市内で少しずつ例会を開始していった。昭和23年(1948年)に、戦後第一回の浪展を、浪華写真倶楽部、丹平写真倶楽部、地懐社、稚草社、大阪写真研究会のアマチュア写真クラブ5団体で開催し、倶楽部の再出発となった。戦後新しく入ったメンバーは、高田誠三、津田洋甫、中山一市、酒井平八郎などである。

2018年と翌年にかけてMEMとパリフォトで開催した「戦後の浪華写真倶楽部」展では、この戦後再出発した浪華写真倶楽部の活動のなかで、津田洋甫、酒井平八郎、関岡昭介の三氏の作品のなかから、戦前の浪華から受け継がれてきた前衛表現と、終戦直後の社会の風景が拮抗した表現に焦点を絞って検証をした。

参考文献:
『日本近代写真の成立と展開』東京都写真美術館、1995年
『浪展 — 浪華写真倶楽部創立100周年記念』浪華写真倶楽部、2005年
『関西写真家たちの軌跡100年』関西写真家たちの軌跡展実行委員会、2007年
『戦後の浪花写真倶楽部 津田洋甫、関岡昭介、酒井平八郎をめぐって』MEM、2019年

浪華写真倶楽部

関岡昭介

酒井平八郎

津田洋甫


 

「戦後の浪華写真倶楽部 - 津田洋甫 関岡昭介 酒井平八郎をめぐって」
会期|2019年3月2日-24日
会場|MEM

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