すべては初めて起こる

〈すべては初めて起こる〉 をめぐるいくつかの日付と思い出すことがら(2013年10月20日 記す)

2007年5月16日、桜の開花を追って京都から北海道まで1月半ほど続けた旅の終り、北海道えりも町庶野の公園で薄いピンクの山桜が散りながら光っているのを見た。日本の歴史と風土のなかで桜ほど人間たちの想いを過剰に背負わされ、消費し続けられた花はほかに無く、その過剰な想いをいったん保留して桜を見るということが可能なのか、そのことを10年近く考え続けながら写真を撮影してきたけれど、朝の陽光に花びらが光っているのを見てただ美しいと感じたその時、ボクは桜を巡る旅はもう終りにしよう、と思った。見ることだけに集中していたつもりのボクだが、考えてみればボクは見ると同時にずっと歩き続けてきたし、呼吸し続けていた。小高い丘の頂を目指して進むといろんな音が聞こえてくる。道を踏みしめる自分の足音、遠くから微かに聞こえる波の音と保育園のこどもたちの声、鳥の鳴き声。土と樹と潮風の匂い。この世界には目にみえないものや写真に写らないことがたくさんある、という当たり前のことに気がついてうれしくなった。丘の上からは太平洋が見えた。

2010年8月31日、メキシコ系アメリカ人の小説家サルヴァドール・プラセンシアに会うためにロス・アンジェルスを旅していたボクは、東一番通りとロレーナ通りの角に立つ市場  エル・メルカド のおもちゃ屋で、プラスティックのピンクの球体が振り子状につながった玩具を見つけた。ボクが小学生の頃大流行した アメリカン・クラッカーだ。早速購入してカチカチと2つの球をぶつけながら遊んでみた。市場の2階のバルコニーからは街並が午後の光に照らされているのが見えて、そこに半透明のピンクの球体をかざすと世界はキラキラと光ってゆらめき、こどもの頃に氷やガラスの破片を通していろんなものを見た記憶がよみがえり、初めて見るはずのその風景がなんだかとても懐かしくなってボクはそれを写真に撮った。そのあと、サルヴァドールや同行した仲間たちといっしょに、マンチェスターのロックバンド、ザ・スミス  のことやら、メキシコのサッカー選手、ドス・サントスの話なんかをしながら、広いロス・アンジェルスの街の東側をドライヴした。

2011年3月11日、千葉県浦安市に住むボクは地震が発生した時、自宅の集合住宅の8階で揺れを感じ、動物や人の叫び声やバスタブの水が動く音を聞いた。娘を小学校に迎えに行く道すがら、液状化してあちこちに亀裂の入った道路から泥水が噴き出すのを見た。その夜は部屋のなかで靴をはいて壊れた食器や倒れた本棚を片付けた。数日のあいだ街は砂塵に覆われ白く霞んでいた。多くの人が亡くなったことを伝え聞いて悲しくて涙が出た。自宅は一週間断水し、仮設トイレで用を足す時にはトイレットペーパーを持って階段を降りたり上ったりした。たくさんの初めて経験する事が起こり不安で眠れない夜があったりはしたけれど、めまぐるしく過ぎていく毎日のなかで、自分の身体が自分のものであるという感覚はかろうじて保っていたように思える。そして家族や友人たちと直接顔をあわせて会話をかわす時には生きているという実感があった。ただ福島の原発の事故が伝えられ、おぼろげながら何が起こっているかが少しづつ明らかになるにつれ、自分の身体と変化し続ける世界とのあいだのズレのようなものが増大していった。東京都心の夜は灯りが消えて暗かった。3月は下旬になっても寒い日が続いたけれど、徐々に膨らんでいく近所の桜並木のつぼみを眺めているとさまざまのことを思い出し、桜の樹を道標に福島へ旅をすることを決めた。4月に入り浦安や東京の桜は咲いて散り、4月14日の午後、ラジオのニュースで福島県いわき市小名浜で桜が満開になりそうだ、ということを聞いてクルマで常磐道を北へ向かった。

2013年10月13日、小名浜で開催された「小名浜本町通り芸術祭」に「すべては初めて起こる」を出品して参加した。いろんな方がコメントを寄せてくれたが、2つの存在しない写真のことに心を動かされる。展示会場のタウンモール・リスポの海産物加工品の店で働く志賀君江さんは展示したプリントと写真集をとても丁寧に長い時間見て下さった後、2011年の春にお孫さんと一緒に桜を見た小名浜の富ヶ浦公園の美しさが忘れられない、ということを話してくださり「もし大森さんがその場所に行って『すべては~』のシリーズのひとつとしてその場所で撮影していたならばどんな写真になったのかしら、とても見てみたかった」と。それから、かつて双葉郡大熊町にお住まいで、避難されて現在は喜多方にいらっしゃる青田久美子さん、「このシリーズに大熊で撮られた写真が無いのがねえ、、、」と。その2つの場所には2011年の春にはボクは行かなかった、あるいは、行けなかった。「いま、ここにある写真」を見ながら、「もしかしたら存在したかもしれない、しかし撮られることのなかった写真」に想いを馳せる2人の声を聴いて、小名浜でこの作品を展示することが出来て良かったな、と率直に思った。

大森克己


Top