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椎原治 展

会期|2017年3月4日(土) – 26日(日)
open hours|12:00-20:00
closed|月曜休廊 [月曜祝日の場合は翌日休廊]
tel|03-6459-3205

対談企画
金子隆一 (写真史家) × 椎原保 (美術家)
日時|2017年3月4日(土) 18:00〜
会場|MEM (参加無料)


椎原治(1905-1974, 大阪)は東京美術学校西洋学科(現東京藝術大学)の西洋画科で藤島武二の下で学ぶ。卒業後大阪に戻って丹平写真倶楽部に加わり、実験的な写真作品を次々と発表。丹平写真倶楽部は1930年大阪・心斎橋の丹平薬局が丹平ハウスで結成されたアマチュア写真クラブで、浪華写真倶楽部、芦屋カメラクラブと並んで関西における新興写真の拠点のひとつであった。
椎原はフォトグラム、ソラリゼーション、多重露光等実験的な手法を駆使した作品を多く制作した。とくに画家独自の視点を反映させたPhoto-peintureというガラス乾板に直接絵を描いて印画紙に焼き付ける作品も試みる。また、丹平写真倶楽部の6人の部員と取り組んだ、ヨーロッパから逃れてきたユダヤ人が数日神戸に滞在したときの貴重なドキュメンタリー「流氓ユダヤ」も有名である。
本展は、ゲストキュレーターとして作家の息子である椎原保を招待。ともすれば前衛写真の側面のみに焦点を当てられる椎原治の作品を別な角度から紹介する試みである。椎原は実験的な作品以外にも、ポートレイトや町の風俗、風景写真等も多くてがけている。本展はそれらの作品も含め立体的に椎原治作品の解題に取り組む試みである。

椎原治 Osamu Shiihara
1905年、大阪市に生まれる。1928年に東京美術学校西洋画科に入学し、藤島武二の下で学ぶ。32年同校を卒業、関西に戻り、兵庫県武庫郡今津町にアトリエを構える。このころ丹平写真倶楽部に加わる。丹平倶楽部は1930年、大阪心斎橋の丹平ハウスで結成されたアマチュア写真クラブで、安井仲治、上田備山を指導者とし、浪華写真倶楽部、芦屋カメラクラブと並んで、関西における新興写真の拠点であった。椎原はこの丹平倶楽部の中心メンバーのひとりとして活躍。フォトグラムやソラリゼーションなどの特殊技法のほか、写真とドローイングの併用技法ともいえる「フォトパンチュール」という独自の技法を駆使し、近代的な写真作品を数多く残した。戦後は大阪府池田市に移り、染色関係の会社に勤務する傍ら写真を続ける。 53年には丹平の会員、棚橋紫水、河野徹らと共にシュピーゲル写真協会を結成した。