大束 元(1912–1992)
東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区滝野川)に生まれる。東京高工(現・千葉大学)写真科卒。
父は写真修整の先駆者大束昌可。在学中から、野島康三、木村伊兵衛、中山岩太が創刊した『光画』の例会に父とともに顔を出し、1933年から作品を発表する。1934年、銀座の紀伊國屋画廊で初個展「商業写真展」を開催。同年、朝日新聞社大阪本社に社会部記者として入社。1937年より中国大陸を中心に、タイ、シンガポール、朝鮮へと赴任。新聞紙上で写真と文を一人で担当した。終戦後、1948年、出版写真部へ移り、舞台写真やポートレイトを撮影。1925年から『アサヒグラフ』で「新東京風景」シリーズを発表。1952年7月より、玄光社の『写真サロン』で「東京」シリーズを連載。『アサヒカメラ』でも積極的に作品を発表した。朝日新聞出版写真部では、吉岡専造、船山克とともに三羽ガラスと呼ばれた。
大束は、人物スナップとともに、都市風景や、富士山を主題にした一連の作品などを長時間露光やフォトモンタージュで実験的な作品に仕上げた。舞台写真も多い。大束の作品にはフォトジャーナリストと表現者、常にこの二つの顔が見え隠れする。それは学生時代から『光画』の編集現場に出入りし、中山、野島、木村等一線の写真家に加え、板垣鷹穂等写真評論家達と交流を持った経験が大きい。
1963年、全日本写真連盟事務局長に就任。朝日新聞社を退職後は、全日本写真連盟理事を務め、アマチュア写真の発展に尽力した。
1989年回顧展「大束元の軌跡」が開催された。
(K.I.)
参考文献:
『日本の写真家』日外アソシエーツ、2005年
『プレス・カメラマン・ストーリー』展覧会カタログ、東京都写真美術館、2009
『軌跡―大束元の世界』平凡社、1996年
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