植木昇(1905–1991)

1905年、広島県福山市で写真館を営む植木蓬一の次男として生まれる。1927年京都市の河野龍太郎写真場に入門、修業したのち廣井家に婿養子として入り、1934年、廣井昇写真場を京都の烏丸二条付近に開く。1946年、植木昇写真場と改称。その後にウエキフォトスタジオと改称。
1920年代後半からベス単カメラを使ったソフトフォーカスとデフォルマシオン、雑巾掛けの技法による芸術写真を制作、『フォトタイムス』等のカメラ雑誌に発表する。ベス単カメラを使用。ソフトフォーカスやデフォルマシオンの技法による芸術写真を制作する。日本光画協会の会員でもあった。美術文化協会写真部の会員でもあり、協会主催の美術文化展にも出品。
1925年に設立されたK・P・Sの中核メンバーとして小林祐史らとともに活躍。戦後は一転してシュールレアリスムの影響を思わせるオブジェによって構成された、手彩色による大判のプリントを制作する。『フォトグラフィ』等のカメラ雑誌への発表の他、オットー・シュタイナートが審査員として来日した第一回国際主観主義写真展にも出展。1969年、写真集団「虹」を結成、後進の育成に努めた。
1991年、京都にて没。2001年、写真団体「虹」のメンバー、山本吉男、谷本勇等が中心になり遺作展が大阪で開催され、展示された作品はほとんどが東京都写真美術館に寄贈された。


Exhibitions

「K・P・S 植木昇 小林祐史 二人展」
2019年9月14日-10月6日


Works

Further readings
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