宇宙図

北山善夫は80年代より和紙にインクで描く大きいスケールの絵画に取り組んでいる。それらは、あらかじめ制作した人型の粘土の彫刻を平面に写し取った「偶像図」と、抽象画の「宇宙図」という2つのシリーズに分けられ、このふたつのシリーズはそれぞれ絵画における図と地の問題に取り組んだものであった。図の「偶像図」と地の「宇宙図」2点1つとして並列に描かれてきたが、当初具体的な惑星や星雲を描き込んでいた「宇宙図」シリーズは、2003年頃から無数に描かれた丸の集積が画面全体を覆う作品に変化していった。原子や分子が集まりこの宇宙を作っているように、極小の丸の集合が波のようにうねりながら生命に満ちたひとつの世界をつくりあげる。

「一人の人間が地上に立ち夜空を見上げると巨大半球状の宇宙が見える。半球状のかたちは膨大な星々が成し、その果ては視覚可能な場所である。星の光は見上げる人の眼に真正面からやってくる。膨大な星の光は眼と一対一の関係で結ばれる。星と人間とは遠近法では近景・中景抜きの超遠景である。ほとんど消失点と言って良い距離で、限りなく等距離にある。

星のまわりにある闇は、無限に奥行きを持ち、星がかたちづくる半球体を突き抜けて光の奥行きの消失面となる。

目がものを見るという事は光によって可能になる。対象にかたちがある場合、光の反射の強弱によって量塊を確認する事が可能である。かたちが最小限度のものとなり、かたちがわからなくなる限界点までいくと光という輝きしか見えなくなり、点のような滴となる。星はその時もっとも原初的なものとなる。
宇宙図は以上を考え、半球状の星々を真正面に捉え、星と視点とを同一の場所に重ね合わせる事で奥行きをとりはらい全点透視法、全点消失法を獲得するに至った。
今回の新作では、いままで描いていた闇を描くのをやめた。ビックバンによって宇宙ができそこにさまざまな物質の集合体がある様子を想像して描き、分子とか原子、ミニマルな状態をひとつの小さい丸という図に託して描いている。量子力学的な視点から宇宙を描写したものである。ひとつひとつの丸を描くことで時を刻み、膨大な宇宙の時間の片鱗でも追体験したい、宇宙と一体化したいという思いがある。そして、ひとつの丸はひとつの世界であり、無数の丸を描きながらも同じ生の動きはひとつもない。

物理的に最小単位の丸は刻々とその事を表現出来るものである。従来の「偶像図」では歴史的社会的事件を主題にした図と完全な余白としての背景にはっきりわかれていた。それが変化していき、最近は背景が無数の顔の集合体になってきた。それは「宇宙図」同様画面全体を埋めてしまっている。そして、人間の集合体で埋まっている画面のなかに男女の営みの交合図を持ち込んだ。これは出産という根源的なものを描くためである。「偶像図」の地の部分に無数の頭を描いているとき、「宇宙図」で無数の丸をひたすら描いているとき、いままで存在していた人類のこと、自分に繋がる膨大な祖先の人々の肖像、そして未だ発見されていない東日本大震災の犠牲者のことを思い浮かべる。」

(北山善夫談、2014年のMEMでの個展「宇宙図」にて)


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