北山 善夫
Yoshio Kitayama

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YOSHIO KITAYAMA -ICON AND UNIVERSE-

Yoshio Kitayama started a series of large-scale monochrome paintings on Japanese paper in 1997.  They are categorized into two types: “icon” and “universe.”

“icon” shows enlarged human figures drawn from little clay dolls he makes in advance.  The images show the different levels of interplay /relationship among the figures that represent not only human beings but also nations, races and societies.  One can find various universal themes related to contemporary issues here.  Discovery of a moment and The dead create history deal with violence and the lust for conquest that has caused wars and massacres throughout human history .  Why we had to create God talks about religions, and relations between God and mankind.  The three works Violence , Domination and Plunder are about exploitation by various powers performed between man and woman, nations, races and religions.  My mother is dead is Kitayama’s version of Shaka-nehanzu, a Nirvana painting, which shows the dying Buddha lying in Nirvana, but he connected it with the personal relationship with his mother.

The backgrounds of these paintings are completely blank while the figures are three-dimensional.  Therefore the figures seem to be floating in total emptiness.  Kitayama points out his paintings lack the perspective used in Western paintings that have the illusion of three-dimensional space.  He says the blank represents the concept of K? (“Emptiness” or “Void”) in Buddhism.  This metaphysical space in the background tells us about the truth of where we stand; everything one encounters in life is empty of absolute identity or permanence.
In the “Universe” series, the artist’s numerous and meticulous touches in black ink create a series of phenomenal pictures of the universe, which could be compared to the Mandal a in Buddhism.  The work has images of the cosmos as well as “a representation of the unconscious self” as Carl Jung commented on Mandal as.  V iewer becomes mesmerized and caught up with the idea of the enormous amounts of time and space found in the macro and micro cosmos represented in the picture.  Here the artist tries to reach the origin of the world.  He says, “… The endless chain of life have never been cut since the Big Bang. I’m also part of that chain and such a form of life exists in my body.  It’s our marvelous ability to imagine the infinite universe and the endless stream of lives coming from the cosmos over zillions of years…I created these paintings with such an imagination…they also contain the concept of reincarnation that we will come back to the stream of lives and be born again as part of the universe…life and death are united there…”

Ki tayama also points out an element in his work which is associated with the history of painting in Asian countries, especially Sansui-ga (“monochrome landscape paintings”), that shows multitudinous gods in the landscape.  His painting succeeds in the tradition of Sansui-ga, he says.
With two types of black and white paintings, Kitayama presents questions about life and death, the link of Life with universal energy, identity of human beings and the “self.”

Yoshio Kitayama was born in 1948 in Shiga P refecture, Japan.  His sculptures and paintings have been presented in international venues including the 40th Venezia Biennale, the Carnegie International in Pittsburgh, the Asian Art Biennale, Bangladesh and the Triennale India.  He lives and works in Kyoto.

Selected works


Exhibitions

Text

北山善夫論
—図と地の原理的なレヴェル
千葉成夫
(徘徊巷第八号掲載)

もう二年以上もまえになるが、北山善夫が、東京では七年ぶりの個展を開いた(INAXギャラリー、2004年2月)。その前年の夏、京都へ行く機会があったが(ギャラリー16の四十周年記念パーティー)、たまたまその折に北山善夫の作品を見ることができた(中ハシ克シゲとの二人展「At This School, 明倫」、2003年8月、京都芸術センター)。そんなわけで半年あまりのあいだに二度、彼の作品をゆっくり見ることができた。また、そのさい京都でも東京でも北山善夫といろいろな話を交わすことができた。作品と彼との会話に触発されて書こうとおもっていたことを、展覧会評としてみたらかなり遅れてしまったことになるけれど、ここに記すことにする。

もちろん、北山善夫はそのときに突然立体やインスタレーションから平面に変わったのではない。彼はずっと絵画作品、平面作品をやりたいとおもい、それなりに継続してきているともいえる。作品発表をたどっていくかぎりではレリーフ的作品からはじまって立体・インスタレーションだったから、彼の絵画への欲望は見え隠れしていたにとどまっていたといったらいいだろうか。だから、僕たちは北山善夫を立体・インスタレーションの作家とみなしてきたのである。彼自身ははじめから絵を描きたくて何度か(何度も)こころみてきているのだが、なかなかうまくいかなかったという。そして、1982年にスケッチ帳で絵を本格的にはじめている、ないし再開しているのだが、絵画だけによる発表は1986年まで待たなければならなかった。
そういう試行錯誤をへて、1996年から「図、絵画」シリーズの絵画を描きはじめ、それを1997年秋、東京のINAXギャラリーでの個展で展示することになった。僕もそのときにはじめて、彼の絵画作品を見た。その後、立体・インスタレーション作品をつくることもあったし、それもいっこうにかまわないとおもうが(絵画と彫刻は、造形の本質的に異なる二つの形式だが、両方手がけていけないなどということはない)、「図、絵画」シリーズは、絵画へのもう戻れない道へ入ったことを感じさせたのだった。
それから六年たっているが、「図、絵画」シリーズのその後の作品を京都と東京で発表した。その間の豊田市美術館での展覧会などを見ていない僕にとっては六年ぶりだったが、新作群は1997年発表の作品群と基本的に同じだった。彼がやってきていることは、一朝一夕で変化があらわれたり大きな進展があったり、ましてや簡単に方がつくような、そんな「軽い」ものではない、「本格の絵画」のこころみだからである、といえばいいだろうか。去年と今年のあいだで変化をもとめるような「ジャーナリスティック」なスタンスはもうはっきりと捨てるべきである。

北山善夫が(すくなくとも)1996年以降こころみてきている作品は二つに、二種類に分けられる。年度のようなテクスチャーをもつ人体が描かれた作品と、宇宙の暗いひろがりのような画面の作品とだ。この区別はとてもはっきりしている。彼を絵画に駆り立てるモチヴェイションは同じだとしても、「あらわれ」ないし「様式(形式)」としては明確に異なっている。このちがいは何だろうか?
僕にはつぎのように見える。すなわち、前者は「図」、後者は「地」の一にあると。この両方があいまって北山善夫の絵画のこころみなのだ、と。
前者は「図(かたち)」を「図(かたち)」として、つまり「地」からきりはなして追求しているものであり、後者は「地」から「図(かたち)」を排除して、「地」を純粋に「地」として追求しているものである———と、まずはそう理解しておいてもらっていい。ほんとうはそうではなく、もうすこし精密にいわなければならないのだが、そしてそのことは後者の作品群を見れば一目瞭然なのだが、とりあえずはそのようにうけとってもらっておいてもいい。
なぜ彼が絵画のこころみを二つに分けてやっているのかといえば、第一に、日本の絵画が弱体なのは描くべき「主題」がいまだにきちんと獲得されていないからであり、したがってその獲得が先決だと、彼がかんがえているからだ。これまでに実現されてきた近代日本の絵画にみとめられる「主題」は、絵画というものの枠組みそのものを西欧近代美術か西欧現代美術のそれに依存したうえで描かれてきた「主題」にすぎないし、「なんらかの主題を描くということ」それじたいが西欧のコンセプトであって、それを直輸入的になぞってきたにすぎない。伝統的な「日本画」から「主題」を借りている場合も、基本的にそれにとって固有の「なんらかの主題を描くということ」を実現するために、「主題」を見出していかねばならない。そのためにこそ、まずとにかく「主題」を「主題」として描くことができなければならない。だから自分は自分でそれをこころみてみる、ということなのだ。
そして第二に、しかし同時に、「主題」を宙に浮いたままの状態で描いているだけではなくてどこかに着地させなければ、十全な「絵画」にはならない、すなわち「主題」には「地」が不可欠であると、彼はそうもかんがえているからである。そう、僕は理解している。
両方を同時にこころみることができるならばそれにこしたことはない。それはいうまでもない。だが彼にはそれができない。なぜなら、それが可能だった「幸福な時代」はとうに過ぎ去ってしまっているからであり、さらにいうならこの日本にはそういおう時代そのものがなかった、すなわち「絵画」が成立したことすらなかったからである。それゆえ、北山善夫にできないだけではない。それはこの日本列島ではいままでに誰によってもできなかったし、現在でもまだ(原理的に?)誰にもできないかもしれないことだからだ。
「主題」が獲得されなければならない———という意味は、それゆえ、たとえば「死」とか「生(誕生)」とか「宇宙」といったような「主題」を見出すということではない。だいたいこのご時世に、描くべき何かがわかれば描くことができるような絵画など、どうせロクなものであるはずがない。また、絵画とは何かを描写的に(再現的に)ないし抽象的に描くアートだという前提に立つことができるくらいなら、苦労はいらない。「主題」とは、アプリオリに存在しうるものではなく「絵画(行為)」、広い意味での「絵画(行為)」のなkで見出されていくものなのだ。そうである以上、「主題」の獲得は「絵画」の獲得と同時に起こるはずである。「なんらかの主題を描くということ」じたいの実現とは、そういう意味にほかならない。
僕はあたりまえのことをこむずかしく言っているだろうか?しかし、西欧の絵画とこの日本列島の絵画とはまったく同じものであるといった空疎な前提に立つことができるのでないかぎり、話がちょっとこむずかしくなるのは仕方がない。西欧絵画の論理だけでよいのなら話は単純だし簡単だ。しかしこの列島の「絵画」は、西欧であるほかはないがゆえに、話がすこしややこしくなるのである。

前者、「図(かたち)」として追求する作品は、具体的には、みずから油土で作った小さな人形を見ながら描かれる。そうやって制作された作品群の「主題」は、ヴァリエーションはあるものの、根本的には「死」と「生(いのち)」である。そうであるとして、ここで注目しなければならないのは、北山善夫はその「主題」を直接的に描いているのではないということなのだ。手に何ももたないで白い画布に向かっているのではなくて、自分で作った油土の人形像を見ながら描いているという点なのである。このとき、油土の人形像とは何だろうか?それが果たしている役割とは何だろうか?モチーフ(動機)なのだろうか?
それそのものが「主題」なのではない。北山自身が言っているように「主題」は「死」や「生(いのち)」である。そしてこの「主題」の由来は、彼が「10才頃に死にかける病気を体験して、その後二度再発し」ていることにある(北山「海外について」)。もっと正確にいえば子供の頃のその体験が、「50才を過ぎ、人生の折り返し点を過ぎ、私にとってのこれからの最大の事件はなんだろうと重い巡ら」したときに、「私自身の死の姿」を浮上させたことにある(同前)。子供のときに死にかけてもそれがそのときだけで終わることもありうるが、折り返し点をまわった彼にはその体験が再来した。以降、彼の創造活動もまた「それ」(死)なしにはかんがえられなくなった。「そのこと」(死の問題)が彼を動かして、あらためて「絵画」に向かわせたのである。それゆえ、「主題」はあくまでも「死」なのだ。「生(いのち)」は「死」の裏側に必然的についてまわるものだし、それ以外のものは、「歴史」にしろ「神」にしろ、「死」の「系」として登場した主題にほかならない。
だが、僕はその作品群を見ていて、「主題は『死』である」ということにいくらかの違和感をおぼえる。それは、西欧の画家達がイエスや成人たちの死を描き、英雄たちやふつうの人々の死を描いた作品において「死が主題である」場合と同じであるとは、おもえない。誤解のないように言い添えておくが、彼の子供のときの体験と、それが再来していまの彼にまとわりついている「死」にたいする「おもい」の切実さを、過小評価するのではもちろんない。そういう意味でなら、むしろ逆なくらいなのだ。ただ、「死」は彼のこの作品群にとって、「主題」である以前に「モチヴェイション」であると、僕にはそんな木がしてならないのである。
再来した「死」の感触、そして「死にたいするおもい」が彼を動かす。「モチヴェイション」も「モチーフ」も語源は「動かす」、「動き出させる」である。「死」をめぐる、それにはほとんど触れそうになった「感触」と「想念」が、北山善夫をして「絵画」へと動かす。一度ならず断念していながら、内心ではずっといちばにゃりたかった「絵画」へと向かわせる。うまくいくかどうかわからないが、残された時間のことをおもえばもはや躊躇してはいられない。彼はそのようにして「図、絵画」シリーズをはじめたのではないのだろうか?だから、彼にとって「死」は、「主題」というようりは「モチーフ」に近いのではないだろうか?
もちろん、「モチーフ」(ないしモチヴェイション)であり、同時にそれを描き出そうとしているという意味では「主題」と呼んでもかまわない気もするのだが、それを「主題」と言い切ることを僕がためらう理由はふたつある。ひとつは、一般的にいって、絵画において「死」はそれを直接的に描出することがとてもむずかしい主題だからである。なぜなら、究極的には人は誰も死そのものを体験できないからだが、それはさておくとしても、死は死であり無になることなのに、描出された死は、その表現がすぐれていればいるほど美しいものとして生きてしまうからである。
もうひとつは、にもかかわらず西欧ではその「死」をしつこく表現しようとしてきたその蓄積がひとつの厚みをつくりだしているのにたいして、日本列島ではそういうこころみがきわめて希薄だからであり、とくに近代に入ってからはほとんどないからである。ことは「死」に限らない。その反対の「生」についても、「生」を宿す女体から「生」を生む性行為まで、西欧は空くことなく、体系的に、緻密に、しつこく表現してきていることは周知のとおりだ。それにくらべたら日本列島には「死」の表現などないに等しい。北山善夫は次のように書いている———「82年からスケッチをはじめて3年くらいたった時、現代の日本の絵画にはなにか欠けているなと思い始めました。主題の喪失です。社会性が全くないと言ってもいいのです」(同前)。
だが、僕にいわせるなら「喪失」ではなくていちども無かった。そう言ったほうが事実に近い。つまり、「死」に限らず、この日本の美術表現においては、すくなくとも近代以降は、どうやら、画家が「主題」ということをきちんと手につかんだことはなかったといわなければならないようなのである。そして、それは個々の作家の問題ではなくて、文化の質の問題なのだ。

北山善夫が「かたち」によって絵画を実現しようとしてなかなかできなかったのは、彼にとくべつの現象でもなければ、彼個人の資質や才能の問題でもない。なんらかの明確な「主題」を「かたち」によって描くという絵画が、この日本列島にはなかったし、なかなか根づかなかったし、いまもまだ根づいているとはいいがたいからである。この日本でそれをやろうとすると、画家の一人一人が、「なんらかの主題を描くということ」じたい、その枠組みそのものをまず自分で作っていかなければならない。歴史・蓄積・伝統としてはないのだから、一人一人が自分自身の「枠組み」を作っていかなければならないが、歴史・蓄積・伝統のないところではそんなに簡単に作りうるはずもない。たとえば、北山は「社会性が全くない」といっているが、「社会性にかかわる主題」が日本でだめだったし、いまもだめなのは、(広い意味での)「社会主義」も「社会性」も「写実主義(再現主義)」も日本(の画家)が作ったものではないからであり、そしてそれだけではなく、簡単にいえば日本にはそぐわないものだからである。
では、どうしたらいいのだろうか?僕自身は、はっきりいって、それについては悲劇的である。
ただ、ひとつだけ可能かもしれないとおもうのは、一人の画家が自身のほんとうの必然性に押されて、ある主題に迫る、しかもそのときに西欧や過去の「方法」に依拠しないことに自覚的である、という場合である。北山善夫の場合がそうである。ただこの場合でも、北山の場合がそうであるように、「枠組み」じたいのないところからはじめるほかないから、「枠組み」のいわば仮構、それを仮に設定することから入っていくほかはない。歴史・蓄積・伝統がないとはそういおうことだ。
北山がその「図(かたち)」を「図(かたち)」として「地」からきりはなして追求しているのは、したがって、もちろん方法的にである。「死」の問題が「主題」として彼にやってきたとき、しかし彼はそれを(たとえば西欧絵画のように)直接的、かつ過不足ないやりかたで描くことができない。
そのことに無頓着でいると、サブカルチャーにはなりえても絵画にはならない。たとえばマンガが絵画でないのは、マンガとは、カラーで描かれようと、本質的に「地」のない「図(かたち)」だからである。それは図(かたち)だけによって物語(主題)を展開していく形式であり、あえていうなら「図(かたち)」が、絵画の「図(かたち)にならずに、文学(物語)の「ことば」のほうへ抽象化していくところで成立しているものなのだ。マンガが「吹き出し」によって「ことば」に随伴されており、それがないとマンガが成立しないことが、そのことをよく象徴している。マンガがふつうは一枚だけでは成立せず、主題(物語)を多数の枚数を費やして語っていく点も絵画とは根本的に異なっているかれど、それと同時に、「地」をいっさい抜いていることがマンガと絵画とを分けるのである。
「地」とは、絵画において、「図(かたち)」の背景にすぎないのではない。絵画とは「図(かたち)」だけを描くものではなく、西欧絵画のすぐれた作例をおもいうかべてみればよくわかるが、ある情景なら情景の「全体」を描こうとするものだからである。僕のこのみの用語でいうなら、その情景の「空気」までも、というよりもその「空気」をこそ表現しようとするものだからだ。西欧絵画が懸命になって「遠近法」を探求してきた理由は、美術史家なら現実空間の物理的なひろがり(奥行きなど)を平面上に再現しようとする欲望にあるというのだが、僕はもっと端的に「空気」を描きたかったからだと言う。物理的にというよりおむしろ心的に、だ。画家たちは自分が呼吸している空気、そして情景によってそれぞれ別様に動き、揺れ、変化する「空気」を描き出そうとしてきたのである。それができなければ絵画がリアリティーをもちえない、もうひとつの「現実」たりえないことを、彼らはよくわかっていたからである。画布一枚だけで成立させなければならない絵画という形式では、時間も動きも、そして物語(主題)の展開も、その一枚のなかに求心的にとりこむ必要がある。マンがやアニメのようにそれらを「外」へもっていくことはできない。そして、すべてを求心的に一枚のなかに繋ぎとめうる鍵は、そのこと、この「空気」を表現できるかどうかということにあるといっていい。
そのことが文化の質の問題としてきわめて困難ないし不可能であることをよくわかっているからこそ、北山善夫は、「図(かたち)」だけを描く。1997年にこの作品群を見たときの僕の最初の印象は、「描かれている立体」というものだった。すなわち、平面作品でありながらそれはなぜか「立体」のように感じられた。たくさんの人体が描きこまれたたとえば《一瞬の時の発見》のような作品は、ある種のインスタレーション作品のようにもかじられた。「地」がまったくないから浮かんでいるように見えるために「立体」のように感じられることは、はっきりしている。また、それが油土の小さな人形を見て描かれているために、つまり小さなものとはいえ現実の立体をもとにしているために、どこか「立体」の雰囲気をまとうことになっている、ということも考慮に入れられることもわかった。だが、もちろん「地」を排除していることのほうが重要である。ある「主題」をなす全体のなかからひとつ(ないし複数)の人のかたちだけを抜き出して、いわば「情景の全体」を断って人のかたちだけにしぼっていることがそれを「立体」的にしていた。だが率直にいって、当時は僕の思考はそれ以上にはうまくすすまなかった。
こんどわかったのは、はっきりしたのは、「主題」を過不足なく表現することが容易ではないからこそまず「人のかたち」にしぼって、それが「地」から浮くことを引き受けならが、「図(かたち)」を「図(かたち)」としてとにかく自立させようとしているという、まさにそのことだった。
その作品群を、つまりいまの作品群を、「絵画」と呼ぶことはできないかもしれない。しかし、それは新しい「絵画」のために一歩を踏み出す「作品」たりえている。なんらかの「主題」を表現する「絵画」へと、それは一歩を踏み出しえているのである。そしてそのさい、彼が立体をやってきたこと、油土の小さな立体をもとにはじめたことは、彼の「一歩の踏みだし」の性格を決めているとおもう。彼は、現実空間のなかに現実に存在する「かたち」をもとに、その「かたち」から離れないように、平面上に「かたち」を実現しようとしてきたからである。それがなければ、彼は、はじめから「かたち」を法規して「絵画」をこころみようとしていたかもしれない。

二つの可能性、二つのやりかたがあるのだ。「かたち」すなわち抽象的(非再現的)ではない「かたち」から離れないでこころみる絵画と、「かたち」を離れて試みる絵画と。

描かれるべき「主題」が訪れる。その場合でも、北山善夫は、日本の画家は、その「かたち」を、あるいはそれを「かたち」によって、ナイーヴに表現できるわけではない。そこで北山がとった方法は、一方で、いまみてきたように「主題」を「主題」として純粋かして描くことであり、同時に他方で「宇宙図」(北山自身の言いかた)のような作品、「図(かたち)」を描くことなく絵画たりうるような作品をもこころみる、というものである。
「宇宙図」は、文字通り、星、天体、星雲、銀が、宇宙の塵などからなるひろがりを描いた、天体写真をおもわせるような作品である。それは自分はどこからやってきたのかという問いかけをさかのぼりつづけて宇宙にまでたどりついたこと、そしてその宇宙にも「生と死」はあるということ、そういう発送から生まれたと、彼は言っている。もっと具体的にいうろ、1986年の絵画群のなかにあった星の絵をきっかけにして、「その絵の背景にもう一つひと回り大きい星を描き(中略)、そして又もう一つ背景に星を描き、又もう一つ描くと画面全体を描くことにな」って(同前)、できた作品である。ちなみにここでも、星は油土でつくった小さな星のかたちのものをモチーフにして描かれていた。たしかに、よく見ると星のテクスチャーは小さな人形のそれとまったく同じであることがわかる作品もある。それゆえ、発送と出発点の方法は「前者」の作品群と変わらない。
にもかかわらず、同心円状にひろがっていって画面全体にまで到達したときに、この「後者」の作品群は「前者」とは異質な、というよりも正反対でさえあるような要素をも呼び込むことになったというべきではないだろうか。星が一つだけ描かれている絵は「前者」と同質のものだが、ここでは星そのほかが画面全体にまでいきわたっていて、「地」が埋められているからだ。そして注意しなければいけないのは、しかし星そのほかだけで画面全体を埋めているのではないという事実である。「前者」のなかのたとえば《歴史は試写がつくった》のように人体の錯綜が画面を大きく埋めるようになっている作品でも、「地」は白く残る。それはこの後者でも同じはずで、星を無数に描いても「地」はやはり白く残るはずなのだが、この作品群では星をあらわす無数の小さな白い点の背景は白ではなくて黒なのである。現実問題としては宇宙空間は暗いのだから黒でおかしくはない、ということだろうか?
だが、絵画表現の問題としては、それはちがう。無数の白い点の背景を、すなわち「地」を、彼は造形として、絵画として、黒く縫っているということである。ただ、たまたまそれが宇宙をモチーフにしているために、ここにかくべつの違和感が生じていない、ということなのだ。つまり、北山善夫にとってはこれは幸運な出来事だった。その結果、こういってよければ、「地」の獲得がここで起こっている。星という、宇宙スケールのなかに存在するがゆえに、離れる距離によっては、あるところから、ある意味で「かたち」ではないものとなり、ついて「点」になり、ついには見えなくなって黒い背景に同化してしまう、特殊なもの(それゆえ特殊な空間)を「主題」としたことも、幸いしている。幸運、幸いといったが、もちろんこれは偶然というのではない。彼がそれを呼び寄せたことであり、この作品群はその意味でもすぐれている。この作品群の前に立つと僕は、宇宙のひろがりでもあって同時に絵画のひろがりでもある、そんな「空気」につつまれる。さらに、それは自分の内側、内面のひろがりとも直結していることがたしかに感じられるのである。

残る一抹の不安をことばにするとしたら、二つである。
ひとつは「宇宙図」の作品にかかわることだ。うまくいえないのだが、この作品群は星たちとの「この距離」のところで描かれ成立しているのだけれど、そこから遠くへ離れすぎても近くへ寄りすぎてもあぶない、そんな気がするのである。いいかえてみるなら、遠くへ離れすぎてしまうと「装飾」のようなものになりかねないし、近くへ寄りすぎてしまうと、すなわち「図(かたち)」が見えすぎてしまうと、天文図のようなものと同じになってしまいかねない、そんな不安である。
もうひとつは、不安というより期待といったほうがいいのかもしれないのだが、「前者」の作品群は「図(かたち)」のままでいくのだろうか、それともなんらかの「地」の上に着地していくことになるのだろうか、ということだ。このまま「図(かたち)」だけのままだと、とても魅力的で良い作品であるのに、「浮いている」感じを拭いきれないことが、僕にはどうしても気になる。
もちろん、だからといって、「宇宙図」の作品群が「前者」の作品群の「地」たりうる、つまりこの二種の作品の統合こそが北山善雄の最終作品である———というように簡単に言えないことはわかっているのだが・・・。