松井智惠展 An Allegorical Vessel / heidi 49 vision-mist

1980年代よりインスタレーションの作品によって知られている松井智惠の、近年主流となった映像とパフォーマンスを駆使した寓意的な内容をもつ新作のビデオ作品をご紹介いたします。
展覧会名  :An Allegorical Vessel(寓意のいれもの)
会場    :MEM(大阪市中央区今橋2-1-1新井ビル4F TEL.06-6231-0337)
展覧会会期 :2009年10月17日(土)〜11月14日(土)
開廊時間 :午前11時〜午後6時

出品作品についてのコメント

映像作品は、光のもとで撮影され、再び光の状態になって再現される。
記録・記憶といったものが、多分に多く含まれた作品を創る事を続けていますが、インスタレーションであれ、ドローイングであれ、どのような技法の場合でも、作品として最終的には、『時間が静止したもの』として、展示してきました。
インスタレーションの中で歩き回り、ドローイングの画面の上で視線は、動き回り、また、画像そのものの動きに眼球は翻弄されます。このことと、『時間が静止したもの』とは、まるで正反対のことを語っているように思われるかもしれません。しかし、動いているものへの視線や、視線を動かすこと、動きとともに視線もあることは、永久に続くことはあり得ないと、わたしは考えます。

止むことのない「まばたき」の連続。
動的な印象を持つ「まばたき」は、実は、時間を静止するための機能です。

まばたきの結果、見えたものは、記憶の中でいったん、『静止』の状態になります。そうやって、わたしは、数えきれない『静止』した記憶を蓄積しているのです。

なぜ、『静止』という捉え方がでてきたのかと、言いますと、ふと、あるときに動き出すために、『静止』するのです。

歩く前に私は静止しています。
しかし、この『静止』はとても不完全なものです。絶えず揺れる手前にあるのです。『夢=vision』自体が、記憶の中に含まれているように。

作品は、眠り、朝に起きるように、私の中に存在します。

 

「HEIDI49 vision – mist」について」

今回の作品は、本年の6月に発表した「HEIDI49 vision-river」の姉妹編となります。もともと、「HEIDI49-vision 」は、一時間以上あり、非常に長いものでした。画廊で発表するのには、適さない長さです。それで、「vision-river」と「vision-mist」の、二部構成にすることにしました。

ですから、今回の「vision-mist」には、「vision-river」と、同じ風景がでてくることもあります。が、少し映像自体に加工を施し、今までと異なる側面から、アプローチを試みてみようと、しています。
「イメージ」は、霧の中にいるように、立ち現れては消え、自ら歩み寄ることでしか、獲得できないということを軸にして、「現と夢」の間に存在する空間を「映像」と「ドローイング」で、表現することを、試みます。

朽ち果てた場所や、荒れた彩度の低い土地ほど、様々な物語を語ってくれます。人と近しい大きさの自然は、そのように、人の記憶と重なり合うことが、比較的容易です。それに反して、人の大きさを凌駕した自然の中では、人の個人的な日常の記憶と重なり合うことが難しくなります。
自然と戯れることができるようになるには、街からやって来たものにとっては、は、とても、困難な現実となります。

『HEIDI49-vision』では、その両方の側面からの接近を試みてみます。
人の内なる自然への憧憬と、統御し得ないという畏れ。それは、人生そのものの様態とも言い換えることができるかもしれません。

映像制作にあたって、寓話のなかや、寓意に潜っていた要素を、映像空間の中に架設的に置いてみることをしてみました。そのような状態に、今までにも登場したHEIDIを置いてみると、寓意の隙間から、vision=情景と、光景と、風景がないまぜになったものが、見えてきたのです。
風景と光景の間に近づくことができるでしょうか。
私自身を含めて、勇気をもった作品を目指します。

松井智惠